奈良・古建築の旅     室生寺の金堂             2016.05.12 

14時52分。室生口大野駅に到着です。

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室生寺へは一時間に一本のこのバスで15分ぐらい。

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おお、どんどん山の中へ。

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15時17分。気が急いて最初の橋を渡ったら、参拝用の入り口ではなかったようです。
この建物なんだ? と思ったら慶雲殿とか。あの肘木。モニュメント的な建物ではありませんね。僧房? 特別展の展示室になったりするらしいので、庫裏とか書院と思ってれば良いのですかね? よく解りませんが。

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この門はこけら葺のようです。 でも古い様式ではありません。古くても江戸時代ぐらいでしょう。

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こちらは檜皮葺。一見棟門なんですが、両脇は築地塀ではありません。ということは裏に支えの柱があるんでしょうか。

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ちょっと檜皮葺をアップで。

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これも檜皮葺。門の裏側のようです。背の低い支えの柱があるでしょ。さっきの門も裏がこうなっていた?

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15時23分。あの建物は? 休憩所でした。フキフキ "A^^;  

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でも簡素な肘木に束。良いですねぇ。でも柱には貫が。鎌倉以降でしょうね。
って当たり前だ。(,_'☆\ ベキバキ

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縋破風(すがるはふ)の金堂

見えてきました。こちらがここ室生寺の象徴、金堂(国宝)です。
平安前期(794-929年ぐらい)、桁行五間、梁間五間。こけら葺の寄棟造ですが、「正面一間通りすがる破風付葺きおろし」です。

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「正面一間通りすがる破風付葺きおろし」って何じゃって? これです。
元々は寄棟造の金堂、つまり仏殿なんですが、仏殿て仏様のお住まいなので、僧でもなかなか入れない。で、拝礼するのに前に礼堂を作っていたんですが、平安時代後期から礼堂を仏殿に引っ付けちゃうようになるんです。ここの場合は寄棟造の前面に庇(孫庇)を追加して礼堂にしちゃったんですね。その後は内陣と外陣(げじん)をもつ本堂に発展します。現在の孫庇(礼堂)は江戸時代前期、1672年に改築されたものですが、それ以前から孫庇の礼堂はあったそうです。

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だから屋根のかっこが変、いや特徴的なんです。二回反り上がっている。頭の中で一回目の反り上がり部分で屋根を切ってみてください。紙で隠してもいいです。普通に寄棟造の屋根の角になります。

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下は前方から見上げたところですが、手前の繋虹梁中央の蟇股(かえるまた) の上の母屋桁の突き出しのちょっと向こうを見てください。隅垂木が斜めに突き出してますよね。あれは元々の寄棟造の屋根の隅垂木です。

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面白いものを見つけました。追加された庇の側柱を見てください。床、といっても簀子縁ですが、上は丸柱です。でも下は八角柱。同じ柱ですよ。おそらく伐採して八角柱にしたものをここに運んできたんじゃないでしょうか。丸太で運ぶより軽くなります。それをここで、目に見える部分を丸に加工したと。床より上は金堂の威厳がかかってますからね。

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ところでこの屋根。この写真では檜皮葺のようにも見えますよね。私も現場で悩みました。金堂はこけら葺のはずだったのに、記憶違い? と。迷ったときの決め手は、お教えできません。こういうのはやはり場数を踏まなければダメですね。そのための奈良旅行だったんですが。

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金堂の内部は撮影禁止なのでお見せできないのが残念ですが、 建築史の本でも見てください。工藤圭章、『古寺建築入門』(岩波書店、1984)は写真が一杯でお勧めです。中古で安く買えるし。

その金堂の縁側から下を見ると。これは明らかにこけら葺ですね。新しい建物ですが。

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こちらは弥勒堂(重文)です。鎌倉時代前期、西暦:1185-1274年ぐらいとか。
桁行・梁間とも三間の一重の堂で、屋根はこけら葺の入 母屋造です。こけら葺がだいぶ痛んできたようで庇部分に覆いが。葺き替え費用の寄付を募ってました。

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寄付してくれば良かった。バスの時間制限があったので 気が急いていたんです。次ぎに行ったときに寄付しますから。m(_ _)m

update 2016.05.28