鎌倉の秋2006.12.23     妙本寺・晩秋の紅葉 

妙本寺に来るのは久しぶりです。前はいつも通っているのですが中に入るのは。

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いかにも晩秋ですねぇ。


鐘楼です。

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その鐘楼の処から見上げる紅葉はまだまだ元気でした。

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二天門から祖師堂を。あっ、猫。妙本寺にはいつも猫がいますね。このときも。

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この妙本寺の地は頼朝が鎌倉に入ったあと、頼朝の乳母(めのと)で、伊豆に流された頼朝を助けていた比企の尼の一族の館が有りました。そして比企一族はこの地で滅びました。その比企一族の墓がこれです。詳しいは話は古道三浦道・妙本寺の歴史をご覧ください。

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祖師堂の脇、もう枯れかかっていますが奇麗ですね。

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初めて気がついたのですが、こんなところに鎌倉町青年団の石碑が。それにしても「万葉集研究遺跡」って何なんでしょう? と思ったら・・・・

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万葉集研究遺跡・碑文
此地は比企谷新釈迦堂 即将軍頼家の女にて将軍頼経の室なる竹御所夫人の廟のありし処にて 当堂の供僧なる権律師仙覚が万葉集研究の偉業を遂げしは実に其僧坊なり 今夫人の墓標として大石を置けるは 適(まさ)に堂の須弥檀の直下に当れり 堂は恐らくは南面し 僧坊は疑はくは西面したりけむ 西方崖下の窟は仙覚等代々の供僧の埋骨処ならざるか 悉くは 万葉集新考 附録 万葉集雑攷に言へり
昭和五年二月 宮中顧問官井上通泰撰 菅虎雄書

要するに比企一族の若狭の局が生んだ二代将軍頼家の娘で、四代将軍夫人の竹御所が、母方一族の霊、そして頼家の長子で自分の兄(弟?)にあたる一幡を慰めるために釈迦堂を建てたのが此処であると、その釈迦堂の供僧、権律師仙覚が万葉集研究でとっても有名な人だったので「万葉集研究遺跡」と言う石碑になったと言うことらしいです。


その脇の階段の先は墓地とハイキングコースに道が分かれるのですが、ここでハイキングコースと言うと・・・、あっ祇園山ハイキングコースか。

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ここから祖師堂の屋根見ると、なかなか見事な紅葉が残っていました。先週なら本当に真っ盛りだったでしょうね。

そんな訳で「鎌倉紅葉大研究」に没頭しすぎ、肝心の試験勉強は3時間しかできませんでした。う〜ん、今日こそは! あれ? 今日はクリスマスイブじゃん。だめだこりゃ。フキフキ "A^^;


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