鎌倉の秋 2007.09.15  鶴岡八幡宮・神幸祭と八乙女の舞 

9月14日から16日の3日間、鶴岡八幡宮では例大祭が行われました。15日はその本祭のようなもの、神幸祭は午後1時から始まり、古い三基の御輿を中心に若宮大路を二の鳥居まで行って、そこで八乙女の舞が奉納されます。

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例大祭はその神社にとって最も重要で盛大なお祭りであり、鶴岡八幡宮の例大祭は文治三年八月十五日、源頼朝によって始められた放生会を起源とします。
更にその元となる宇佐八幡宮での放生会の起源は720年(養老4年)に遡ります。その年、大和朝廷は南九州の大和朝廷に従わなかった「隼人」を攻めて九州全域を支配下に置きますが、そのときに
宇佐氏の法蓮と言う僧が大和朝廷側で宇佐一族を率いて活躍しますが、その戦後、戦死した隼人の霊を弔うために、宇佐群和向浜で蜷貝(にながい)を流す放生会を行ったのが最初とされます。
またこの戦いで、4世紀後半の応神天皇 を祭る大神(おおが)氏が宇佐に入り、辛島氏が完全に大和朝廷の元に従属するようになったそうです。

宇佐八幡宮なのに僧とはこれ如何にと思われるでしょうが、それは昔は神仏混合だったから・・・
なんて言うのより更に昔からここでは仏教的色彩が強かったようです。

と言うのは宇佐八幡宮は大和朝廷が全国支配を完成する以前からの神社で、中心は朝鮮の新羅系渡来人秦氏族の辛島氏(豊国)の辛国息長姫が、山国の海国神と宇佐国の比盗_(口に羊:ヒビ神?)に取って代わる、または合体して比売大神(ひめおおかみ)になったと言われます。

現在、八幡神とは、応神天皇(誉田別命・ほむだわけのみこと)、神功皇后(息長帯比売命・おきながたらしひめのみこと)、比売大神(ひめおおかみ)の3神のことですが、神功皇后=息長帯比売命は辛国息長姫のポストを継承したと言うことになるんでしょうか。

原始八幡信仰が新羅系渡来人であれば、当初より仏教的色彩を備えていたことは不思議ではなく、「続日本記」には「八幡大神禰宜尼大神朝臣杜女」と禰宜が尼であることが記されているそうです。
言ってみれば神仏混合の走りみたいなものでしょうか。そう言えば「南無八幡大菩薩」と言うその「菩薩」は仏教ですよね。「八幡」は神なのに。八幡神が大菩薩になったのは平安時代の初期からだそうです。


時代は下って、清和源氏の祖先の清和天皇即位のときに、宇佐八幡宮の八幡大菩薩の「朝廷を守る為に京に座を移したい」とのお告げがあったとして京の石清水に八幡宮が作られます。
その石清水に八幡宮寺の放生会は勅祭として、その行列は天皇の行列(行幸)に准ぜられるほどだったそうです。

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頼朝はその石清水八幡宮寺の放生会を真似て、旧暦の8月15日に鶴岡八幡宮でも放生会を行うようになります。今日ではこの日を新暦に改め、9月14日より16日にかけて各種の祭事・行事が行われます。

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こちらは八乙女の舞を舞うお嬢ちゃん達。小学生だそうです。

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出発を待つ諸役の方々。装束は平安時代後期から鎌倉時代の狩衣ですね。平安時代後期、関東の武士(後の御家人層で開拓領主の子弟)が京で朝廷や有力貴族に出仕したときの平服だったものが、鎌倉では御家人の正装になってしまったものです。

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神官の装束は平安時代の衣冠(いかん)でしょうか? これだけは今も昔も変わりません。よく「衣冠束帯」なんて言いますが、「衣冠」と「束帯」は全く別物で菅原道真の絵なんかの装束が「束帯」ですね、多分。

一の鳥居を出発

警備のおまわりさんに聞いたら、出発予定は1時40分だとか。ちょっと遅れて45分に赤橋を渡り・・・

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一の鳥居から出発します。

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御神輿も出てきました。これが先頭の鳳凰とか。

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一の鳥居を出ていきます。

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そして2基目、3基目も。町人の威勢の良い御神輿とはえらい違いますね。いったいいつの時代の御神輿でしょうか、そして装束も全く違います。平安時代ですね、これは。

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こちらが宮司さん。ただの神主さんじゃありません。

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二の鳥居

行列の先頭が二の鳥居に着きました。実は自転車で裏道を先回りして待ちかまえていたんです。

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先頭の御神輿も到着。

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宮司さんと多分その次に偉い神主さん、いや何と言うんだろう、神職の方。

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こちらが一の御神輿、他の2つが両脇に据えられたあとに海を正面にして中央に運びこまれます。

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お供え物を献じて、宮司の祝詞奏上

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何を言ってるのかは解りませんでしたが・・・

八乙女の舞

八乙女の舞の奉納が始まりました。これは初めて見ます。

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八乙女の舞の歴史は浅くまだ百年も経っていません。1933年に宮内省楽部の楽長・多忠朝が作曲作舞した巫女舞なんだそうです。

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時々左右が入れ替わります。あまり派手な動きはありません。

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終わりました。一人づつ元の位置へ。

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このあとまた行列を組んで、本社に戻ります。そして翌日の16日は小笠原流の流鏑馬神事です。

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