飛騨高山 2009.4.11     早朝の上三之町

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旅館・河渡の朝

早朝の宿の窓から見た上三之町です。

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連れと娘はまだ布団の中。私は朝飯前のお務めに表に出ます。お務めって何だって?

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こうして写真を撮ることで御座います。当然ではありませんか。他に何があると言うのでありましょう。ここは飛騨の高山ですよ(倉敷でもやったけど)。

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安川通りの角から柳橋辻へ

上三之町通りの北端、安川通りから順にご覧に入れましょう。上三之町を三つに分けると柳橋辻までがその北の部分。宿から見ると一番目の区画です。

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町屋の二階の軒下には時々こうした神棚が祭られています。

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「かぎつる・金城堂」という歯車みたいな看板が。なんか解らないけど、良いですねぇ。早朝には解らなかったのですが民芸品店らしいです。

外村吉之助先生のちょっとだけ弟子としては、こういうおみやげ屋さんのものを「民芸品」と言われると「ちゃうわい!」と言いたくなるんですが、しかし世にあるほとんどのお店はそういうお店。
それをムキになって否定しても始まらないので、個人的には「民芸品店」と「民芸店」を区別することにしました。だからここは「民芸品店」で良いのです。

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ちなみに「民芸店」と言えるのは・・・、日本全国でも数えるほどしかありません。


うちらの宿の前は藤井美術民芸館(地図)。目の前なのに中に入っていません。

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何が置いてあったのでしょう?


柳橋辻が見えてきました。右手は三河屋さん。三河屋というと酒屋さんみたいな感じですが、ここでは違います。

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そういえば、このずっと先にも三河屋さんがあちますね。そちらも酒屋さんではありませんでした。

上三之町を柳橋辻から三町辻へ

ここがその柳橋辻(地図)です。ここから先が上三之町を三つに分けるとその真ん中の区画。「柳橋辻」というのはこのサイトでの仮称です。この十字路の呼び名に困ってねぇ。

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でこの交差する道の先、西側すぐに柳橋があるので、その柳橋の通りとの「辻」(十字路)ということで「柳橋辻」。古来地名ってのはこのように作られたもので御座います。このサイトではこのまま押し通してしまいましょう。


柳橋辻から更に進むと飛騨民族考古館地図)。

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それを過ぎて振り返ったところです。左の看板はとうふ料理のお食事処・のぐちやさん。右は「珈琲軽食・よしかわ」です。振り返った北向きですから飛騨民族考古館が右奥に見えますね。

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実は写真を整理しているとこの上三之町は何度も通って、前に後ろにと撮っているもんだから、どこでどっち向きに撮ったのかすぐには解りません。自分では撮った時間は解るので、陽の向きを見れば方角は解りますが、もっと単純は判別方を今の内にお教えしましょう。突き当たりの光景です。ひとつ前の写真のように山が見えればそれは南向きの写真。この写真のように白いビルが見えればそれは北向きの写真です。

もっと上級な判別法は、知ってるお店が左右どちらに写っているかですが、これは知ってる人しか解りませんね。

三町辻から南の上三之町

上三之町通りの真ん中の区画を南側で区切る横の道路は「さんまち通り」です。だもんでこの十字路は「三町辻」(地図)と呼ぶことにしましょう「さんまち通りの辻」では長いんで。

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しかし「上三之町通り」が縦で「さんまち通り」が横? なんじゃそりゃ! 
と思ったのですが、「さんまち」は上一之町、上二之町、上三之町の「三つの町」って意味なんでしょうね。ちなみに駅から見ると一番手前が三之町、そして二之町、一之町になります。逆ですねぇ。でも高山駅なんて出来たのは昭和になってからなんですぜ。いや、今調べるまでは明治の末ぐらいかと思ってたんだけど。

高山の町の構成は金森氏の頃、つまり安土桃山時代から江戸時代初期に形成されていて、駅の反対側にあった高山城を中心としています。城の麓の高台に武家屋敷、その下(西)の三つの通り、三町を町人の町とし、そして京都に倣って東山に寺院を集めたそうです。
奥に山が見えますが、あの山に高山城が有りました。城郭はもっと左側ですが。だからその城を中心にすると、ちゃんと一之町、二之町、三之町の順なんです。

ついでに言えば、宿のすぐ北側を大通りが東西に走っていますがその安川通りで一之町、二之町、三之町はそれぞれ上と下に分断されます。だから上三之町という地名はお城から3本目の町人の通りの上(お城に近い)町ってな意味なんです。多分。


と言うことで上三之町も三町辻から南の最後の区画です。向こうに山が見えるからこれは南向き進行方向。と、こういう訳です。それにしてもまた人が絶えたなぁ。まだ8時5分ぐらいですから。

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ところで、右側の軒下を見てください。たばこの自動販売機があるのですが、ちゃんと景観に配慮して格子戸のような街並みに合わせた覆いが施されています。これはほんとうに有り難いですね。


そうそう、さっきの三町辻で上三之町の通りはちょっと折れ曲がっているんです。だもんでこの写真では北は見通せません。そういう時はあの三町辻の角の白い倉が目印です。あそこは藍花珈琲店なんですが、三町辻の北東の角にあります。だもんであれがこの写真の様に通りの右側に見えたら、それは上三之町の南の区画で北を向いているとこういう訳で御座います。

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逆に、左に見えたら上三之町の真ん中の区画で南を向いていると。


写真鑑定講座はまだまだ続きます。ではテスト。これはどっち向きでしょうか?

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山が見えるから南向きですね。ちょっとだけ観光客なみなさんも歩いていますね。


わっ、左下を見て下さい。バスガイドさんが旗をもって。ということはあの一団は観光客? まだ朝の8時8分でっせ。観光客のツアーにゃ早すぎない? 何でしょ、東京から深夜バスでやってきた? それとも市内の観光バス?

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ところでこのお店。造り酒屋さんです。このあとお昼に連れが入りました。


上三之町の南端は突き当たりです。近づき過ぎて山が見えなくなったら、この突き当たりの光景も方角判定のチェックポイントですね。

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これで、写真鑑定講座は終わり。朝市の後でこの上三之町の昼をじっくりご紹介しますが、この写真鑑定法をマスターしていれば楽しみは二倍に。

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実は今回の倉敷・高山の旅で私が撮った写真は6千枚。この上三之町だけで2千枚近くになるかもしれません。おまけにこの上三之町は3日間に渡っていったい何回通ったかってぐらいなんで、整理をしていて「ここは何処、私は誰?」状態。それを脱して、上三之町三区分、それも南から順にまとめる為に編み出したのが、我が家に代々伝わるこの「秘伝写真鑑定術」で御座います。

えっ、変? これから代々伝えれば良いので御座います。そうだ、巻物にしとこうかな♪