飛騨高山 2009.4.11       日下部民芸館

私にとって、この日下部民芸館は思い出深い処です。民芸館だからではなくて、この建物がです。初めてここに来た40年前には私は高校を卒業たとき、丁度娘と同じ歳の頃ですね。

飛騨高山の陣屋_01

高校の頃は建築デザイン志望で、住居史とか、建築史とか、建築美学とかの本ばっかり読んでたんです。雑誌では「SD(スペースデザイン)」「都市住宅」、山本夏彦編集発行の「室内」あたり。それでここに来たんですね。


ここ「日下部民芸館」の評価が高いのは、民芸館としてではなく、江戸時代の面影を残す商家の古建築としてです。民芸館なところもありますが、それはページを分けたので、ここでは以降、お隣の吉島家住宅に合わせて、日下部家住宅と呼ぶことにします。文化財としての登録名称も「日下部家住宅」ですので。

日下部家は、天領時代に代官所の御用商人として栄えた商人で、江戸時代末期の1852年には代官所の掛屋(かけや)をつとめ、後には両替屋(今で言う銀行)や雑貨の卸を営んでいたそうです。掛屋(かけや)というのは、藩の蔵屋敷、この場合は代官所における商品調達および年貢米売却などの代金の管理、また国許および江戸屋敷への送金、さらに資金が不足した場合の貸付(「大名貸」)を行う役職です。つまり、かなり大手の両替商ということになります。

北陸や九州の大名にまで金を貸していた豪商で、江戸末期の年商は二万両とか。今で言うとどれぐらいなんでしょう。20億円ぐらい? 江戸時代に間男(要するに人妻と不倫)をしたのがバレて、「ご免なさい。死罪だけはご勘弁を!」と示談にする相場が大判1枚、約7両ぐらいだったと言いますから、1両10万円よりもっと高いのかもしれません。

明治初期にここを再建した頃は言ってみれば地銀のオーナー頭取みたいなものでしょうか。

飛騨高山の陣屋_02

ここは「台所」と言いますが、見ての通り現在言われる「台所=キッチン」とは違います。ダイニングルームの方ですね。あるいは居間と言っても。

ところで、「江戸時代の面影を残す」とは言っても、この建物自体は明治初期のもの。高山は1875年つまり明治8年に大火に見舞われ、特にこのあたりは全て焼け落ちています。それから再建が始まり、完成したのは1879年、明治12年のこと。
1966年(昭和41)に、明治建築の民家として初めて国の重要文化財に指定されていますが、造り自体は、明治建築と言うより、江戸時代の高山町家造りの特色を留めていることで、重要文化財指定もそこに重きが置かれているのでしょう。ただし、江戸時代から同じ造りであった訳ではなさそうです。というのは、江戸時代にはこのように前庭をつくり、棟の高い2階家を建てることは許されなかったんだそうです。


ここ日下部家住宅は、この吹き抜けの梁(はり)と束柱(つかばしら)の木組みが有名ですが、それは日下部家住宅が、ここ飛騨高山の住宅の代表として紹介されるからであって、高山の古い商家は、お隣の吉島家住宅も、公開されている建物の中では唯一江戸時代のものである松本家住宅でもこうなっています。 

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というか、囲炉裏の上はどの地方でも上に天井など貼らずに吹き抜けです。小さな農家でもね。ひとつは、火事の心配ということもあったでしょうし、農家などでは炭ではなくて薪です。ここは豪商ですから炭ぐらいふんだんに買えたかもしれませんが、江戸時代でも常にそうであった訳ではありません。

30年ぐらい前かな? 民芸関係の先輩に同行して鹿児島だったかの山間部の農家に住んでるじっちゃんばあちゃんの処に行ったことがありますが、囲炉裏の煙だったか、家中に染みこんだ煙の匂いだかで、目がしょぼしょぼした覚えがあります。


こちらは2階。階段は、こんな豪商なのにえらい急なちいさな階段です。どこでもそうですが。その階段が左下にちらりと写っているものです。

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向こうに見える屋根はお隣の吉島家住宅ですかね。

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2階もかなり広いのですがとても全てはお見せできません。


1階に戻ってきました。何処でもそうですが、武家屋敷などとは違って、町屋の庭は建物を囲むのではなく、むしろ建物に囲まれています。

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右奥が本座敷、右手前が仏間、そして左側の奥が本座敷を主とした「つぎの間」手前が「くちの間」です。

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これはその「つぎの間」を通して庭を見たところ。さっきの庭ではなくて、母屋の西側の庭です。

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松の向こうに見える建物は文庫蔵。その更に奥に米倉があります。


「台所」に戻ってくると、おんや、あの親子は何を覗きこんでいるんでしょう?

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囲炉裏です。なんか上等っぽい茶釜ですね。

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こちらはその囲炉裏を挟んで反対側。うちの女二人組が写っている写真だと右側にあたります。

飛騨高山の陣屋_11

あの紅白の飾り物はお餅ですね。でも、御用提灯は何? まあ代官所の御用達(メインバンク)ですからおかしくはないかもしれませんが。


ここは母屋の南側の休憩所だったかと思いますが、わりと立派な御駕籠が置いてありました。元々日下部家のものだったかどうかは判りませんが。脇に置いてある椅子は40年前は次の写真にある休憩コーナーにありました。特に手前のもの。あれは確かスペインの椅子だったと思います。

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その椅子が40年前に置いてあった方の、土間の休憩所です。入館料は高校生以上500円なのですが、ここでお煎餅とお茶が頂けます。で、一息ついて向こう側の土蔵。民芸の展示室です。

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さっき座敷濃越しに見えた庭がここです。釣部井戸がありますね。

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連れにあとで「一文銭の千両箱見た〜?あれに一文銭が一杯になると千両なんだって!」と言われました。素直な私は「そうなのかぁ〜」と思っていたのですが、写真を拡大してあの張り紙を読んでみたら・・・、ガセネタです。一文銭の貯蔵に使用したもので「俗に一文銭の千両箱」と言われるそうですが、千両になるとは書いてありませんでした。

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ちなみに色々貼ってあるのは、現在募金箱にしてて、集まったお金を市内の施設に寄付しているんだそうです。そうと知ってりゃちょっとは入れておくんだった。


右の椅子は英国か、英国風か、ウインザーチェアですね。英国か、英国風か、なんて曖昧な言い方をしているのは、実はその時は気がつかなかったんです。暗かったし。

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ちゃんとこれだけ写っているじゃないかって? すんません、ちょっと補正をしました。


さて文庫蔵の中へ。流石に代官所の米倉とくらべれば小さいですが、そりゃあれが特別だからで、蔵としてはかなり大きい建物です。

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こちらはその2階。こうして見ると民芸館ですねぇ。展示品は次のページでお目にかけます。

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画像のデータによると、40分近く中を見ていたようですね。で母屋の中から外を見ると・・・

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表にも雰囲気のある古民家が。あちら側はここ日下部家の使用人が住んでいたそうです。今で言えば社宅?