2014.03.07    覚園寺裏山・百八やぐら群 

建長寺半僧坊の上から天園に向かうハイキングコース上にやぐらが見えます。『鎌倉攬勝考』の云う法王窟ですね。右の岩肌に「法王」と書いてあるので江戸時代からそう呼ばれていますが、でもそれは後世に彫られたもののようです。

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さらに進むと、ああ、懐かしい。昔ここをしょっちゅう山用自転車を担いで降りてました。

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でも一番沢山このハイキングコールに上がったのはここです。「今泉台住宅地」と在る方から階段をのぼって、 天園の方に向かいました。なので覚園寺の方におりるのは今日が始めて。天園方向のやぐらは・・・、あっ40年前に見たかな? 何処に出るのか判らなかったのでまた建長寺に戻ったんですが。

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ハイキングコールの真上に見えるのがこのやぐら。 『鎌倉攬勝考』にある団子窟です。

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中央に大きな石仏があるります。建長寺仏殿のご本尊と同じ地蔵菩薩です。同様の石仏は各所にみられますが、地蔵菩薩が多いですね。地蔵菩薩はあの世とこの世を行ったりきたりしてます。
ただし鎌倉の石は鎌倉石と呼ばれる砂岩であるため風化が激しく目鼻は無くなっている。
だから団子地蔵なんでしょうか? その前の床に大きな穴がありますが、納骨穴です。一人分ではなくて次々に入れられます。背後、側面の彫り込みには江戸期以降の石仏が置かれていますが、当初は納骨場所でしょう。

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五輪塔の彫り物。五輪塔にも壁にも漆喰が相当残っていますね。

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『鎌倉攬勝考』に五輪窟とあるのはこれだと思うのですが。『鎌倉市史・考古編』に何号穴書いてあるどれとも数が合いません。白く塗られ、キャ、カ、ラ、バ、アの梵字が明瞭に残っています。おそらく金箔が押されていただろうと。

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ところで今日撮りにきたのはwikipedia用の百八やぐら群らしさのある1枚。
となると上のような単発写真じゃなくてやぐらが沢山連なってないと。こんな感じかなぁ。

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これもちょっといまいち。これじゃ〜鎌倉時代らしさが伝わらない。

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これも置いてあるのが江戸時代のものだし。何でこんなもん置くかなぁ。

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これもダメ。 

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これもねぇ。

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ところで、 現在置かれている江戸期以降の石仏というのは、江戸時代末期にはここは覚園寺の四国八十八箇所を模した霊場だったそうです。実は八十八体の弘法大師像なんですね。さして風化していないのに首のないものが多いのは明治初期の廃仏毀釈の運動で破壊されたのだろうと。
なんか中国の文化大革命みたいですね。

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困ったなぁ。

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五輪塔の置き方が変だし。

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結局これを使いました。

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これでも良かったんだけどね。

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