2015.06.06        海蔵寺の十六の井 

亀ヶ谷切通を下ってやってきたのは海蔵寺です。蘊蓄はこちら。ということで省略。
この中世考古学な皆さんが見に来たのは十六の井。ん? あれ? 萩の花がもう咲いてる!

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ほら! 6月には来たこと無かったから知らなかった。
と思って念のため探してみたら・・・。来てましたね。7年前の6月14日。そのときも咲いてましたね。

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みんなに教えるのを忘れたけど、この紫陽花は「恋路ヶ浜」だと思います。
葉っぱがちょっと変わっている。白が混じっています。

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で、まずは十六の井へ。境内を出て民家の間をすり抜け、一見雰囲気のある洞穴を通り抜けて。

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あっ、今は「民家の間をすり抜け」ですが、昔はこのへん一帯が海蔵寺境内で、民家が出来たのは明治以降かもしれません。鎌倉には総門の内側に民家があるお寺が沢山あります。

これが十六の井。例によって蘊蓄はこちらで省略。

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さて、予定の中世考古学講座も無事終了し、あとは観光客に。
あっ、観光客の中に悪の秘密組織が混じってる。(;^_^A アセアセ…

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目を合わせないようにアングルを変えました。

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こちらは薬師堂の中。例によって蘊蓄はこちら
正面の仏像(薬師如来)のお腹の中にはあの仏像の頭より大きい仏頭が入っています。

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連署様に申し上げます。その写真は『鎌倉の寺小辞典』に載ってますよ。
覚えていたら次の講座に持って行きます。忘れるかもしれないので、前日にメールをくれると吉。

おっと、中世考古学がまだ残っていた。本堂左側の小やぐら群です。鎌倉時代と言う説も。
でも私にはわかんないですね。前面の風化が激しくて。

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『吾妻鏡』にはよく「新造花亭有移徒」 なんて出てきます。
例えば嘉禄2年(1226)12月21日条の「天晴風静、入夜、相州并武州、二郎時実主等、新造花亭各有移徙之儀云々」とかね。これを屋敷の移転と読む学者さんもいるようですが、当時の建物は大寺院や御所でも無い限り、寝殿造でも堀立柱建築です。だから何十年も保ちません。
その理由がこの鳥居の足下を見るとよく判ります。文献史学ばっかじゃダメです。当時の屋敷がちっちゃくても60m四方、約千坪なんて広かったのは、土地が安かったということもあるけど、建物が20〜30年しか保たないからその建て替えスペースということもあったと思います。


あれ? 睡蓮が咲いてない。
向こうに見えるのは新造の書院です。檀家の皆さんがあそこでお食事をなさったりするのでしょう。

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手前左の白い花は洋名「カラー」。和名で「海芋」(カイウ)です。
花言葉は「華麗なる美」「乙女のしとやかさ」「清浄」だとか。そんな女性は見たことないですね。
しまった、女性が二人いたんだ。わっ、ぶたないで! バキッ!!☆/(x_x)

しかしおかしいなぁ。 5月に咲いていたこともあるんだけど。花菖蒲より前に。

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このアングル好き♪

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悪の秘密組織が他の場所に居たので、安心して花菖蒲を撮すことが出来ました。
は〜、心が洗われるようだ♪ というと、私の悪友の中に「よっぽど心が汚れていたのね」などと言う輩があらわれるのですが。

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あっ、時間が無い。大急ぎで化粧坂(けわいさか)を越えて「みのわ」に行かなければ!

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