法隆寺09西院伽藍    三棟造の東大門         2016.05.12 

10時42分、南大門が7時39分だったからもう3時間ですね。あっ、デッカイ門が。

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朱塗りですね。陽の当たるところは脱色してますが。朱塗りも塗り立ては好きじゃないですが、ここまで古色が出てくると、これはこれで良いですね。

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屋根裏を見上げると・・・、あれ? 

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こっちも!

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わっ、三棟造りじゃないか! これ東大門だ!(とうだいもんではありません、ひがしだいもん) 、疲れはてて忘れてました。私はこれを撮りに奈良に来たんですよ。大講堂もこのあとの伝法堂もですが。

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建築史の世界ではこれを三棟造と云いますが、寝殿造の中で重要な位置を占める二棟廊というのは下から見上げたこの屋根裏の感じからです。もういちど最初の写真を見てください。屋根は全体にかかっているでしょ。下からは見えませんが、実はこの上に本物の棟があるんです。三棟造と云う呼び名はそこからです。断面図をお見せしましょう。これは川本重雄2012 『寝殿造の空間と儀式』にある断面図ですが、右が単廊、左が複廊、二棟廊です。二棟というのも三棟というのもこれでお判りになると思います。 

これは廻廊の断面図ですが、廻廊として現存しているのはこの次ぎの日に行った春日大社と、最近の再建ですが薬師寺の廻廊がそうです。奈良時代の大門はこの法隆寺東大門と、あとで紹介する東大寺の転害門(てがいもん)の二つしかないそうですが、ふたつとも三棟造です。あれ? 唐招提寺の南大門も三棟造でしたが。ああ、1960年(昭和35年)の再建だそうです。薬師寺の中門と廻廊は西岡棟梁が奈良時代の廻廊を思い描いてああしたのかもしれませんが、春日大社の廻廊は昔からああだったのでしょう。

平安京の内裏の廻廊や門もこういう形だったはずです。門については、承明門は十二脚門でもっと大きいですが、八脚門の月華門、日華門、宣陽門に陰明門はこの東大門と同じ様式だったと思います。江戸時代建造の現京都御所がどうなのかは見に行ってないので判りませんが。

上の平面図に「築地回廊」とあるものはこれまでも出てきた築地塀の両側が廊になった複廊です。春日大社は築地塀ではなく木の塀の両脇の複廊ですが。寝殿造の二棟廊はちょうど上の図の紫宸殿の両脇の複廊に相当します。平安時代初期の形式を踏襲する内裏では床の無い吹き抜けの複廊ですが、その状態は、最近の復元ですが薬師寺の二棟廻廊のこの状態です。平安時代後期の寝殿造では床と壁、といっても壁は蔀(格子)ですが、それらが付いて部屋のようになり、主人の書斎やら出居(でい)と呼ばれる応接室のように使われます。

何でこの三棟造の門や複廊に拘っているのかというと『建治三年記注釈』という本の中で伊藤一美氏が『吾妻鏡』康元2年2月26日条の時宗元服記事、『建治三年記』12月2日条の貞時元服記事にある二棟御所のことを「御所中の一角にあり、二棟造(母屋の横に棟を突き出した建築物)の建物」と説明していたからです。「二棟御所」とは平安時代の指図によく出てくる二棟廊です。二棟廊と「二棟造」は全く別物です。それに「母屋の横に棟を突き出した建築物」なら「鉤屋造」でしょう。

おそらく太田静六『寝殿造の研究』p.740 の「寝殿の西面から二棟廊が出て西廊に連なり、西廊は南に延びて南端は中門廊を形成していて、全体は二棟造形式によっていただろうことが解る」という文の誤読だと思います。太田静六は二棟廊を二棟造形式と云っているのではなく、二棟廊と西廊や中門廊とのセットを二棟造形式と云っているんです。太田静六大先生もまぎらわしい言い方をするもんです。これは大先生が悪い。

なお太田静六のその一文は鎌倉の若宮大路御所のことを書いているのですが、私は間違いだと思います。太田静六は『吾妻鏡』の御所の記事を詳しくは検証していはいません。

ただ、伊藤一美氏が「二棟御所」を調べるのに941ページもある専門外の分厚い専門書『寝殿造の研究』をご自分で読まれたとしたらそれは敬服に値いしますね。


あっ、また小学生の遠足だ。

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門を出たところです。あっ、説明版はこっちにある。私が東大門と気づかずに近づいたのは致し方のないことで御座います。(,_'☆\ ベキバキ

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もうちょっと遠くから脇を撮ればよかったなぁ。でも外側から見ると二重虹梁になっていることがかろうじて判りますよね。えっ、判らない? また撮りに行くしかないかなぁ。(;^_^A アセアセ

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でも良い門ですね。南大門よりこっちの方が好き♪

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突然の三棟造出現にアドレナリン出まくりで疲れてしまいました。やっと写真を撮り終えて門の先を見ると、あっ、おっちゃんが自転車でやってきた。良いですねぇ、こういう光景。

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築地塀フェチなわたくしにはたまりません。
まあこの日は建築史探究の旅だったのでお寺の写真を一生懸命に撮ってますが、私って、写真家としては農村の民家とか古い町屋が専門なんですよね。

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えっ、お前いつから写真家になったんだって? 大学のときには民俗学の調査団で写真班だったんですから。すこしぐらいサバよんだってばちはあたらないでしょ。(世間の声:あたるわい!)

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11時1分です。 20分ぐらい東大門に。

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崩れそうな本瓦。

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あっ、倒れそうなんでしょうか、丸太で補強が。

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おお、築地に瓦を埋め込んでる♪ 築地塀フェチ全開で御座います(笑)

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何で築地塀フェチなんか名乗るようになったかというと、先日、鎌倉は浄妙寺のお茶室に案内した女性が何度も水琴窟の音色を聴きに行ったんですよ。なので「また聴いてるの?」と云ったら「だってあたし音フェチなんだもん♪」だって。音フェチなんて初めて聞いた。だったら俺は築地塀フェチじゃ。という訳に御座います。女性を案内だなんてナンパでもしたのかって? うんにゃ。古文書関係者総勢六名に御座います。

update 2016.05.26