法隆寺14東院伽藍        夢殿              2016.05.12 

これもお見せしないと皆さんは納得しないでしょう。夢殿、聖徳太子の廟所です。
中学の修学旅行でこれ見たのは覚えています。

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でも、人間のための建物以外はあまり関心が無いんですよね。五重塔も。あれは建築ではなくモニュメントです。これもそうですね。大体昔はこの廻廊の内側に足を踏み入れるなど恐れ多いこと。あんな風に一般大衆が中をのぞき込むなどもっての他! 

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とか云いながら、私が当初予定を一週間繰り上げてこの週に行ったのは、18日までが夢殿の秘仏・救世観音像(飛鳥時代)御開帳だったからなんですが。(,_'☆\ ベキバキ
その救世観音像は明治時代にフェノロサと岡倉天心が明治政府の後ろ盾で厨子を開くまで、本当に秘仏だったそうです。

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建物について見ていきましょう。この外観は奈良時代のままではありません。鎌倉時代の1230年に大修理されていて、柱の腐った根元が切り縮められています。柱は礎石建築の場合、柱を地面に埋める堀立柱建物よりは保ちますが、それでも何百年となると下の方が痛んできます。多分一番雨に当たる。それと柱の上の方に当たった雨も根元に降りてくるからでしょう。

その切り縮め分だけ上が低くなりますから、組物、つまり大斗(だいと)と肘木(ひじき)と三つの斗(ます)という人が頭と両手で持ち上げてるような例のセットの上は元々は桁(屋根の支える横柱)が乗るのですが、切り縮め分の穴埋めとして、桁との間に通り肘木(事実上横柱)が追加され、更に三斗が乗ってその上が桁になりました。屋根の勾配も強くなり、軒出も深くなっているそうです。

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断面図で見てみましょう。屋根が大幅に変わっています。旧来の垂木を化粧垂木にして、野小屋が出来て長い桔木(はねぎ)が入っていますね。

そうはいっても創建が天平11年(739)ですから1300年近くも残っているというのは大変なことです。

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実は廻廊をまわっているときに夢殿も撮っていたんです。 やっぱり木立があると絵になりますね♪ でも昔は無かったはずです。

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しかし通り肘木を支える三斗は鎌倉時代で、通り肘木の上の三斗は奈良時代のものの転用で形に違いがあると云われてもねぇ。今拡大して見ていたんですが、同じ様に見えます。こういう細部は望遠でクローズアップして撮っておかないとまずいですかね。

でもまあ、そこまで厳密な様式分類は私の守備範囲じゃないので。

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それにしてもこの上の写真を撮った廻廊上の立ち位置では、平安時代以前には軒先は見えても屋根の面は見えなかったでしょうね。

11時48分。
そろそろ上がってみましょう。こうして見ると確かに軒は深いですね。隅垂木を支える力肘木(でよいのかな?)の先端は目測で6割ぐらいの位置です。上の飛檐垂木分もあわせると1/3ぐらい? これであの本瓦の軒出を支えられるとは思いにくいので、鎌倉時代の修復のときに、中に桔木を入れたんじゃないですかね。

ん? どっかで読んだような。『建築大辞典』には夢殿の記述はありませんでしたが。

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ここの扉には釘隠しが。やはり本堂と礼堂では扱いが違うんでしょうか。

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扉の内側は蔀(しとみ)ですね。かなり骨太。

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蔀の上は内側に跳ね上げています。あっ、金網は公開を初めてからではないでしょうか。奈良時代にはありません。て、当たり前?

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あちらが礼堂。

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11時53分。こちらが先ほどの舎利殿・絵殿です。

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update 2016.06.02