奈良・古建築の旅     薬師寺の大講堂         2016.05.13

大講堂は2003年の再建。正面41m、奥行20m、高さ17mあり、伽藍最大の建造物です。
基本設計は西岡常一棟梁ですが、この起工式の前年、1995年に86歳で亡くなりました。

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なんか中国の宮殿に居るみたいですね。西岡棟梁が薬師寺創建時の姿を正しく再現しているなら、この言葉は褒め言葉です。なにしろ薬師寺創建は官寺として中国直輸入の宮殿建築技術で建てられたはずですので。

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平城京の大極殿もこんな感じだったでしょう。朱塗りであることも含めて。

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薬師寺サイトには
「大講堂は現在の建築基準法に合わせ現代の技法を取り入れながら伝統工法による復元建築で、最大級の建物です。薬師寺白鳳伽藍の雄大さを象徴しています。」
とあります。これも「鉄筋コンクリート造、木造仕上」? それとも天井裏が鉄骨オンパレードになってる? 詳細は判りません。 金堂は一番最初でしたから散々問題になりましたし、西岡棟梁存命中にその経緯を本やら口述で残されましたが、こちらの着工は棟梁が亡くなったあとですので。

と思っていたら見つけました。『宮大工棟梁・西岡常一 「口伝」の重み』の中に松久保秀胤・前薬師寺管長の「西岡常一棟梁への表白文--表白を草するにあたって」という文章があったのです。

大講堂については西岡棟梁の基本設計に基づき、伝統的工法で建築すべく進んでいたところに神戸大震災。そして建築基準法の改正があり、伝統的工法を諦め、鉄骨木部上貼り仕上げに変更せざるを得ないとなったそうです。そうしたさなかの平成7年4月に西岡棟梁は逝去。あとは引用しましょう。

西岡棟梁を継いだ上原政徳棟梁など大工一統が集まり、現場は解散するから、私に出頭するように要請があった。理由は伝統的日本建築物を建造するために私たちは西岡棟梁のもとに見習いに来た。その目的が変れば去るしか無いと決意を述べた。平成7年10月下旬の一事であった。
設計建築委員会を急速再会し、従来の歴史的社寺建築物は地震によって倒壊もせず、現存する建物が何十棟も現存する例からすれば、伝統的日本建築を建造する当建築物は建築基準法38条第2項による特別建造物として建設大臣に特例許可を要望する提案を寺側から設計建設委員会に提示しようとした。
建設委員長は万雷閃烈。提案は微塵もなく粉砕。提案理由として棟梁大工たちの決意を報告した途端、基本設計を軸にして、あらゆる分野で強度補強設計を策定し、強度実験を重ねる事に結論が下った。高田好胤住職は平成8年11月病気に朴れた。
16ヶ月間、設計改良、構造改良、構造物耐抗強度実験、構造物疲労実験、実験計測値算定などを各部分で何百遍も繰返し、遂に平成9年2月に建築物のあらゆる各部が法定強度に適応する構造補強設計及び仕様が完成した。平成10年6月高田好胤住職が遷化し、私が平成10年8月に住職に就任したものの寺に執って不安因懲の時期に一纏の光明を得た。
建築基準法に基づく評定書認可を平成9年3月に得た。その実施仕様に基いて施工は同年7月から始まった。約60項目、200ヶ所余の補強仕様による施工を続け、建設省の補強仕様の施工工程検査を年に十回以上にわたり立入り検査を受け、不適正の指名も受けず、平成14年5月31日竣工式を挙行した。

目頭が熱くなりますね。太田博太郎先生も頑張ってくれたんですね。薬師寺サイトにある「大講堂は現在の建築基準法に合わせ現代の技法を取り入れながら伝統工法による復元建築」とはそういうことだったのですね。現代技術による強度補強はあるにしても、ギリギリの処で奈良時代の、創建当時の工法を再現した建築と云って良いでしょう。

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そしてこの外観は白鳳時代の大建築の姿です。修理を重ねながら今に残った古建築には千何百年の間の補修・補強、具体的には鎌倉時代に中国から伝わった大仏様や禅宗様が目に見える処に混じっています。しかし、ここにはそれはありません。少なくとも目に見える処には。西岡棟梁が想像したという但し書き付きですが、往時の姿です。

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屋根の角度についての資料は持ち合わせませんが、おそらく当時の傾斜ではないでしょうか。

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しかしこの木材はどうやって調達したんでしょうか。法隆寺金堂の扉や、ここの金堂を建てるに際して使った台湾のヒノキは1992年から全面伐採禁止のはず。そもそも国内調達が困難だったから台湾の原生林に探しに行ったのでは? 全面伐採禁止になる前に買い付けが完了していた?
そのあたりは私には全く解りません。 

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裳階の柱は丸柱ではなく、角柱になっています。寝殿造の弘庇はちょうどこの裳階に相当するので、弘庇の角柱はここから来るのでしょう。

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軒先の垂木は地円飛角(じえんひかく)です。

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寺院の拝観はここ薬師寺が最後だったのですが、疲れ果てました。朱塗りに疲れたのは私の好みの問題ですが。建築基準法にも疲れましたが、でも最後の大講堂を調べていて少し元気になりました。が、それは5月にここを見てから3ヶ月も後のことです。

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でもやっぱりこうした白木の門や、古びた築地塀には癒やされますね。この写真を撮った3ヶ月前には本当にそう思いました。「滅びの美学」など言い出すつもりはありませんが。

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update 2016.08.20