建築史・京都編    憲静が再建した五重塔      2018.04.22

現在こうしてみ見られる五重塔は5代目なんだそうです。

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最初は天慶7年(883)ぐらい。それが1055年に焼失。1086年に再建した2代目が1270年に焼失。
永仁元年(1293)に3代目の再建。そのときの大勧進が憲静なのでしょう。東寺再建のため棟別銭徴収を「五畿内諸國司」に命じる太政官符が弘安5年(1282)9月10日付ですから。

永仁3年(1295)7月29日付の鎌倉幕府の事務官僚・二階堂行藤の東寺宛ての書状が残っていて、憲静の死について「昨日廿八日、百ヶ日御佛事、二階堂寺に於いて行われ候き、哀情極り無く候」とあるので憲静は東寺大勧進のまま1295年に亡くなったことになります。

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その3代目が焼失したのが1563年。かなり保ちましたね。1594年に再建された4代目は1635年に焼亡。現在の塔は寛永18年(1641)に再建が始まり、寛永21年(1644)に完成したもの。

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初代から4代目までの塔の姿は判りませんが、全体に江戸時代らしくない正統派、つまり古態を感じさせるそうです。

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ただ、表からは見えない四天柱や補強の金具などには江戸時代の手法が用いられているとか。

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