賄い家の民芸・工芸 石飛勝久さんの土瓶と湯飲み

 

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さて、こんどは土瓶です。私は左利きなので急須はほとんど使いません。
と言ったら昔、浦富焼の山下碩夫さんが「作ってやろうか?」と言ってくれたのですが、そうしたら今度はお茶はいつも私が入れなきゃならなくなるしね。(笑)
これも16〜17年前に仙台の光原社で分けて頂いたもの。とくに「すんばらしい〜!」と思った訳ではないのですが、その前に常用していた石飛さんの小さな土瓶が割れてしまったので。

土瓶のカタチでは小鹿田の坂本茂木さんのものが実に昔ながらのカタチでいて力があって好きなんですが、でも注ぎ口の茶こしの穴(でいいのかな?)まで昔通りで、昔の番茶? ほうじ茶?ようするに荒い葉のお茶にはあれでよいのでしょうが、今の普通のお茶っ葉だと茶こしの穴をぴったり塞いで全然お茶が出てこない。だもんで床の間の観賞用になってしまいました。いやホントは床の間じゃなくて(無いし)タンスの上なんだけど。
でもこの土瓶はお茶の切れが良くて以来20年弱、私の常用品です。これも砂糖壺同様にとくに惚れ惚れと眺めることは無いのですが、ちゃんとレギュラーのポジションを獲得しています。


こちらは上のものの前に私の愛用だった小土瓶です。
この呉須の色、形ともに実に気にいっていて、ほんとに「常用」と言うより「愛用」といった感じで惚れ惚れと眺めることもしばしばだったのですが・・・、洗い篭でだったか、蓋が割れてしまい泣く泣く引退です。もう20年近く前の話なんですが。蓋だけなんとかならんもんじゃろか。でも別の窯だと、いた同じ石飛さんでも別の窯だと呉須の色が合わないでしょうね。トホホホホ

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ほぼ同じ大きさのこちらは呉須でない方です。これも可愛くて良いのですが、でも私は上の呉須の方が好きでしたね。呉須のものより前に買ったのですが。

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こちらはそれのデカイやつ。
上のちいさいものの高さ(蓋のつまみまで)が8cmなのに対してこちらは13.5cmもあります。
常用にはデカすぎ! 8人家族用じゃないかしら、それとも12人? と言いたくなるほどのデカサです。流石に常用とはいかないので光原社からの土瓶となった訳ですが、でも来客時などは無理矢理つかったりしました。20〜25年ぐらい前のものだったと思います。

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実に張りも力もある、それでいて柔らかい良い形だと思います。
残念ながら坂本茂木さんの土瓶と一緒にタンスの上で観賞用になってしまっていますが、見るたびに「すんばらしい〜!」と感動します。えっ、それほどでも無いだろうって? 私がそう感じるんだから良いのです。

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これも最初はあまり好きではなかったんです。まあイッチンのサンプルみたいなつもりで手にいれました。あまり使わなかったから残っているようなもんです。でもこれしか無くなると「これはこれで良いではないけ♪」と思うようになりました。

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石飛さんの湯飲みはまだ何種類かあったはずなのですが、割れてしまったり取られてしまったりで今残っているのは3つだけです。 「取られた」と言うのは親爺にで、その親爺が使っていると言うなら良いのですが、九州に居た叔父が来たときに私の親爺が勝手にあげてしまったようなのです。面取りの湯飲みで私にしてはめずらしく4個か5個かセットで持っていたのですが、手に入れたばかり、まだろくに使わないうちに。
親爺の言うには「朝鮮のものに似て、兄貴が興味を示したんであげた。数も揃っていたし」と。
私の父方の祖父は西太后の時代の清朝政府に技術指導で招かれて中国へ渡り、清朝が崩壊したためかその後朝鮮に移って、親爺もその叔父も生まれも育ちも朝鮮だったのです。まあ親爺も歳の離れた叔父に兄貴孝行をしたかったんだろうし、まあ私も親孝行と思って文句も言わず諦めましたが。
でも悔しいな〜。あれは一番気に入っていたのに!