| 鎌倉 2012.04.15 浄光明寺から覚賢塔 |
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浄光明寺はこのサイト初登場です。来たことはあるのですが。
海蔵寺から鎌倉駅に向かう途中で、ちょいと気になって行ってみました。で、桜は?
おお、見事! ついでに「土紋」な阿弥陀如来様にもご挨拶、と思って石段を登ったら・・・
受付(?)で「奥の道はご存じですか?」「へっ、冷泉為相の墓までですよね」「いや、今日までなんですが、その先の多宝寺跡の覚賢塔まで公開されてます。行ったことあります?」「有りますが(こっちからじゃないけど)」「なら大丈夫ですね」と。なんかしらんけどもうけた♪
どんどん登ると大きな矢倉に網引地蔵が。正和2年(1313年・鎌倉時代)の銘があるそうです。
更に登ると冷泉為相の墓なんですが、説明はこれで省略。もっと詳しくはこちらの蘊蓄を。
この上が冷泉為相の墓、と伝えられています。本当かどうかは知りません。
見えてきました。でもあの宝篋印塔は、南北朝時代のものなんですよね。
問題はこの後ろの扉です。前回来たときは閉じていましたが、今日は開いています。
その背後にも矢倉があり、古い、本当に風化した五輪塔が沢山。
そこから更に奥へ。
どんどん奥へ。
見えました。といっても普通は見えないんですが。この写真の位置はとっても危険です。
これがだだの五輪塔ですか?
覚賢塔です。ここは忍性が開いた多宝寺の跡で、この塔はその多宝寺長老覚賢の墓塔です。
詳しくはこちらをご覧ください。ということで詳細は省略。
しかし何度見てもデカイなぁ。
とそこへ娘から携帯電話が。「遅れた。これから電車に乗る」と。「じゃぁお昼を食べながら待っててあげるよ」と云うと、「食べてもいいけど、あたしとお相伴出来るぐらいにしといてね」でやんの。 |