2015.03.22     建長寺のおかめ桜と中門廊 

ここまで歩いてくる間にまた大変なことを思い出しました。おかめ桜です。ヤバイ!

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ソメイヨシノはまだです。そりゃ判ってます。でもあの女の子達はUターンしてしまいました。

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ほんとにまだ。それは判っているんだけど、問題はこの先です。

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嗚呼、やっぱり逃した。(T-T)

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なんとか咲いてるところは無いかと探してやっとこの枝ぐらい。

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早いんですよね、おかめ桜は。

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仏殿です。

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あっ、外で呼んでます。なになに、画像が規定枚数を超えちゃう? 
巻が入りました。 (;^_^A アセアセ…

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今日は研究テーマのためにやってきていたんであります。あっ、白木蓮綺麗♪

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おっ、新しい建物が。あれを建てる前に発掘調査をしていましたね。やぐらがあった。

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本日の研究テーマは中門廊です。といっても寝殿造りそのものが残っていないので、痕跡ですね。
中門廊というのは寝殿のいわば日常的な玄関です。 日常的でない入口はここではあの方丈正面の唐門です。そして寝殿には正面から上がります。儀式とか、新築して始めて主が入るときなどですが。

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でも普段は関白だって中門廊から入ります。古風で最上級な寝殿造りでは寝殿の両側に廊があって、そこに設けた中門の妻戸が寝殿に上がる入口になっていたんですが、そのうち、というのも平安時代後期の話ですが、天皇や上皇の御所でも左右対称な教科書的な寝殿造りが崩れてきて、最上級でなければ中門もなくなる。でも寝殿の脇に突きだした中門廊は残ります。何故って、それが家の格式だからです。中門が無いのに中門廊。なので『吾妻鏡』でも中門廊という言葉を使うのは京の摂関家や御所に精通した、下向(お飾り)将軍に伺候する中級貴族だけです。例えば中原師員とか、飛鳥井・・・誰だっけ? 教定って云ったかな? 鎌倉の武士やら陰陽師などはその由来を知らずに単に「廊」と呼びます。その状態が残っているのが鎌倉ではこの建長寺なんです。円覚寺だとその説明が出来ません。

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あれ? あの張り紙は何だ! 座禅をする人だけお入りください? 方丈で座禅が出来るのか。
すげ〜らっき〜♪ 

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おっと、建築史の蘊蓄の続きです。非日常な儀式などでは、主人は中門廊ではなくあの正面の階段から入ります。寝殿づくりの場合ですが、お寺さんでは今でもそうだと思います。
私は円覚寺で唐門から入ったことが一回だけありますが、高僧の津送(お葬式)でお焼香をしたときだけです。

建長寺の方丈で座禅をしてきました。20分だけですが。この写真はそのあと。あれが中門廊の名残です。今は沢山の靴箱が左右にあって板張りではありませんが、その部分が板張りと想像してみてください。その中門廊の板張りが外部の者との会議の場になったりします。鎌倉時代初期にはまだ会所や書院はありません。陰陽師などが入れるのも通常はそこまでです。 それより先の寝殿に入れるのは、御所なら殿上人です。これは貴族の中でもとっても名誉。

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裏庭に来ました。あちらに見えるのが東の対の屋です。最近の対の屋は二階建てなんですね。
平安時代には思いもつかないことであります。

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で、中門廊の方に戻ってきました。

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ところで、唐門の脇、休憩所とトイレの間のの枝垂桜なんですが、まだまだですね。

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こちらは総門から山門の間のソメイヨシノです。

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