賄い家の民芸・工芸   祖父母の家具

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 私の父方の祖母の嫁入り道具と聞いていた気が。うろ覚えですが。祖母は神戸のそれなりの商家の出ですからそんなに悪いものでは無いはずなのですが、かといって青山の骨董屋にあるような装飾性はありません。質実剛健、丈夫で長持ちって感じです。
 私にとっては「ご幼少の頃」から親しんだ箪笥なので他の桐箪笥は打っちゃってもこれだけは残したいと思うぐらい思い入れの有るものです。「じ」とか「ゆ」とか書いてありますが、これは杉並の高井戸で母方の祖父母の家に居た頃、下の妹の「じゅんちゃん用」「ゆっちゃん用」との意味で朱墨で母方の祖父が書いたものです。あれからもう40数年、朱の色は消えてその跡だけが残っています。

■ 父方の祖母は明治女学校に通っていた頃から萩原守衛(碌山)と付き合っていたそうです。嘘ではありません。ちゃんと大学の先生が取材に来て本にも載っていますから。(エッヘン!) あれ?仁科先生今では名誉教授だって!
でも碌山さんは帰国して、相馬黒光さんにお熱をあげたまま亡くなってしまいましたが。あれ? 相馬黒光さんも明治女学校だったんだ!
 子供の頃に「あ〜、岩田のおばあさんが碌山と結婚していれば僕ももっと才能が有ったかもしれないのにな〜」とぼやいたら親父がムッとして、「そうだったらお前は生まれとらんわい!」と言われてしまいました、う〜ん。
 その父方の祖母(おばあさん)が神戸女学院で英語の教師・兼寄宿舎の寮監をしていたときに寄宿舎の女学生だったのが母方の祖母(おばあちゃん)です。このおばあちゃんはおてんばで袴を履いてバスッケットボールをしていたそうです。明治の末ですよ。そのおばあちゃんの話では、父方の祖母はとても怖い先生だったとか。

■ 父方の祖母をはっきり覚えているのは四人兄妹の中で多分私だけでしょう。上の妹も少しは覚えているかもしれませんが。 その祖母で覚えているのは祖父の話をするときに背筋をピッと伸ばして。
「岩田(イ・ワ・タで段々音階か下がる)のおじいさまと初めてお会い(後妻でお見合い)したとき、ざる蕎麦が出されて、”不心得者にてお蕎麦を頂く作法を存じません”と申し上げたら”蕎麦なんて好きに食べれば良いのです”とおっしゃって・・・」 と。
 夫婦なのに”申し上げたら”、”おっしゃって”ってなんじゃそりゃ? と子供心に思いました。がそれはそれとして、どうやら我が家の家風「気にしない気にしない」は父方の祖父から伝わったもののようです。(笑)
 ちなみに”申し上げたら”、”おっしゃって”は祖父母の代で廃れて、両親の代には「おとうちゃん」「おかあちゃん」でした。最近岩田家の昔の家風を甦らそうと娘に「おとうさまとおっしゃい!」と言うのですが・・・、帰ってくる言葉は「やなこったい」。 フキフキ "A^^;


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■ この螺鈿の机は戦前の朝鮮のものです。父方の祖父は西太后の頃の清朝政府に産業育成の技術指導で招かれた技師団のひとりで、その後朝鮮に移り、それなりの資産家だった様です。私の叔父、父らが東京の大学に通うために杉並区の荻窪に100坪程度の家を借り、そのときに朝鮮から持って来たものです。あっ、敷地がです。建坪ではありません。
 祖母が嫁いだあとに祖母が入手したものなのか、それともそれ以前に祖父が入手したものなのかは判りません。祖母は後妻で、それ以前に祖父は財を成していたようですし。
 ただ、祖父のものかも? と思えるものはこれしか残っていないのです。なんせ敗戦で朝鮮の本宅のものは持ち出せませんでしたから。 
これも戦前と言うこと以上には制作年代は解りませんが、わざわざ朝鮮から運んだのですから当時でも相当に良いものだったのでしょう。

 日本の螺鈿はもっと精巧ですがこの螺鈿はえらく大雑把でおおらかです。分厚い漆も日本で見るものとは大夫違います。子供の頃からこれに見慣れていたので、他の螺鈿は、例え江戸時代、あるいはそれ以前のものでも、何か縮こまって神経質に見えてしまいます。
手前味噌に言わせてもらえば、こちらは李朝や高麗の磁器、陶器、対する日本の螺鈿は古九谷、色鍋島と言うところでしょうか? まあ個人的な思い入れも相当有るので適当に聞き流してもらえれば。

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■ その荻窪の家に居たのは私が小学校の5年ぐらいまでのことですが、普段食事をしていたのがこの机と言う訳ではありません。普段の食事はただのちゃぶ台だったような。あまり覚えてはいません。当時この螺鈿の机は書院作りの祖母の座敷に有ったような気がします。

 あとは祖母の部屋の記憶は、良くラジオの株式相場の放送が聞こえていたこと、そして荻窪の証券会社の支店に配当の受け取りに行くときに連れて行かれたこと。あれは絶対に○○証券です、祖母の弟がそこの創建に関わっていたので。
 株がらみで親父から聞いた祖母からの家訓?は「株は欲にかられて利益の全部を独り占めしようと思ってはいけません。半分は他の方に分けてさしあげるぐらいの気持ちで臨みなさい。」と言うものです。これって「天井になる前に売り逃げろ」と言うことでしょうか? う〜ん、確かに欲にかられると大損こくようですから、プロですね。(^_^;)

■ 私は祖母にとっては初孫で長男、いわば「お世継ぎ様」でしたのでかわいがって貰えましたが、母にとってはきついお姑さんだったようです。
 多分幼児の頃に母に連れられて家の近所の雑木林でおにぎりを食べた記憶があります。近くをお百姓さんが通りかかって母が胡瓜を分けてもらってそれに味噌を漬けてを食べさせてくれたことも。印象では秋口の頃のような気がしますが、草の上に座らされて母が10mぐらい先のお百姓さんを追いかけていくのをポケーっと見ていたし、2つ違いの妹はその場に居ませんでしたから私がまだ1歳半ぐらいのことだったのかもしれません。ひょっとしてこれぐらい? 

母はそんなこともうこれっぽっちも覚えていませんし、私も子供の頃は近場のピクニック気分な思出だったのですが、もしかするとあれは母の「瞬間家出」だったのかもしれません。 私の一番古い記憶です。考えてみればその頃の母はまだ25〜6だったことになりますね。今はもう80ですが。

その次に古い記憶は多分1歳ぐらいだった上の妹と二人で縁側でおやつの梨を食べたこと、私はすぐに食べて無くなってしまって、よだれかけを付けた妹が不器用にゆっくり食べているのを「う〜、奪って食っちまいたい!」とうらめしそうに横目で見ながら絵を書いていたことです。(笑)