釈迦堂切通の道   釈迦堂切通し

おお、見えてきました! あれが釈迦堂切通しでしょうか!

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あれ? 通行止めだって、落石注意と書いてあります。落石死亡事故責任なら通っても良いのでしょうか? はっ! さっきの自転車乗りはそれでヘルメットを被っていたのか。納得! 違うって。 (,_'☆\ ベキバキ


上の方に矢倉が有ります。どうやってあそこに矢を収納したのでしょうか?
上からロープで降りたのかなぁ。

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えっ、良く見えない? では拡大しましょう。
実はこれ、鎌倉でもかなり大規模な矢倉群なのです。これについての調査報告があるのかどうか、ちゃんと調べてはいませんが、鎌倉時代でしょうか。矢倉群はもっと古くからも有ったのですが、例えば弥生〜奈良時代とか。でもこれはそこまでは古くは無いような気がします。室町以降? それもありそうな。

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と言うのはなかなか旨く写真が撮れないのですが、ちょうどあれぐらいの高さで、もう少し右に本当の切り通しが有るのです。本当のと言うのは写っているこれは切通しじゃなくてトンネルですよね。ちなみにここは鎌倉の内と外とをつなぐ道ではありません。
鎌倉中の釈迦堂谷から鎌倉中の名越をつないでいるだけです。勿論防衛拠点ではありません。


釈迦堂とは3代執権北条泰時が父2代執権北条義時を弔う為に建てた寺ですから北条家が続く鎌倉時代には例え消失したとしても聖地のようなものでしょう。そこに道路を通すとはちょっと考えにくいところがあります。すると可能性として大きいのはこの上にある切り通しは室町時代? そのときはまだここにトンネルは出来ていなかったことになります。

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で、このトンネルは何? 鎌倉内の通り道を造るのにわざわざこんな大工事をするだろうか? 思い当たるのはこれは鎌倉石の石切場ではないかと、風化の度合いから江戸後期は無いかもしれませんが、江戸初期ぐらい? そしてついでにトンネルにして通路にした、あるいは名越から大町、材木座へ運びそこから舟で江戸方面に出荷したとか。
文献的、考古学的根拠は無いですが、なんか有りそうに思います。後は風化の度合いの時代的範囲がどれぐらいかですね。残念ながらそこまでの見識は持ち合わせません。

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ところで2006.1.21に鎌倉にも大雪が、こちらが雪の釈迦堂切通しです。
画像をクリックください。

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さて、釈迦堂切通しの向こう側はしばらくダートです。100mぐらいかな?

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そのダート(砂利道)が終わるところに釈迦堂ヶ谷の説明が。

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その斜め前には風情のある板塀が。(*^,^*)

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のんびりと谷戸を下ってゆくと・・・

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「古典派」と言うお店が有ります。

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喫茶店のようなんですが、入ったことはありません。なんか評判は良いようです。

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で、そのすぐ目と鼻の先が田楽辻子です。
これまでの釈迦堂切通しは鎌倉七口INDEX の(番外) 釈迦堂切通しの方に。

2010/12/12 追記

この釈迦堂切通、というかトンネルですけど、本当に崖崩れがあって2010/12/12現在では通行止めの柵がかなり本気になっています。いつ崩れたのかは知りませんが、12月3日の、妙法寺の屋根の一部が飛ばされた竜巻?のときでしょうか。崖の上から落ちてきた大木の葉はまだ青かったですからそんなに前のことでは無いのかと。