| 2013.10.11 三渓園旧東慶寺仏殿敗退 | 
| 初めて来ました。三溪園です。良いですねぇ。あの舟、如何にも江戸時代ですねぇ。 
 
 おや。お着物な女性が。ここには似合いますねぇ。 
 
 この橋も良い感じ。 
 
 なんだこれは。これじゃないね。何がこれじゃないんだって? 実はここに東慶寺の旧仏殿があるはずなんです。 千姫が1634年(寛永11年)に寄進した仏殿です。その写真を撮りにきたんですが。 
 
 あれは何だ。農家みたい。 
 
 合掌造りだ。デカイなぁ。 
 
 
 
 
 中に入って二階に上がると、・・・ 
 西上州の旧黒澤家と同じですね。作業場所みたい。 
 下に降りると、おっぶんぶく茶釜。 ここは「だいどころ」です。「台所」というのとちょっと違います。 
 こっちは「おいえ」のぶんぶく茶釜。 
 広間です。ほんと広いなぁ。12畳半。四畳半とはだいぶ違いますね。 
 
 ここが奥座敷。右が中の間で、その右がさっきの広間です。 
 
 ここが玄関。玄関と云っても上がったところは6畳間ですぜい。その左がさっきの広間です。 
 
 で、東慶寺の旧仏殿は? アンギャー! ダメだ。こりゃもっと早い時間に来ないと。 
 その説明板。でも三溪園さん。これ間違ってますよ。 東慶寺で火事があったのは永正6年でなくて永正12年(1515年)です。それにこの仏殿は江戸時代初期の様式で、1634年(寛永11年)に千姫が新築で寄進したものというのが現在の定説です。 
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