奈良・古建築の旅      唐招提寺の金堂           2016.05.13

南大門の正面に見える金堂は奈良時代(8世紀後半)の建物です。唐招提寺は唐の高僧・鑑真大和上により天平宝字3年(759)に創建されましたが、この金堂も天平宝字3年かどうかは判りません。でも奈良時代の建物って、数えるほどしか残っていません。そういう意味で、奈良時代を代表する建物として建築史でよく取り上げられます。寄棟造の代表例としてもあげられますね。

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そうそう、平成の大修理時の調査で、中世には大改修は行なわれておらず、江戸時代と明治時代に大修理が行われたことが判明したそうです。更に地垂木の年輪年代測定で781年伐採であることが判明したとか。天平宝字3年(759)よりは後ですが、奈良時代の材が今まで使われていたと。それも屋根で。屋根って痛みやすいんですよ。

とは云え、屋根の高さは創建時とは変わっています。上の写真は遠景とは云え地上1.5mぐらいから撮ったもので、ちゃんと立面図にすると以下のようになります。

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江戸時代以降現在

でも奈良時代の創建当時には現在より約3分の1ほど屋根の高さが低かったんです。下の図ぐらい。それが変わったのは江戸時代の元禄6年(1693)。大棟を高め屋根の勾配を強くしたので,大棟の長さがもとよりも長くなっています。何故か江戸時代に屋根が高くなるんですよね。ここだけじゃなくて。では何故、元の形(高さ)が判るかというと、解体修理のときに修理の痕跡を調べるんです。

唐招提寺サイトに修理経過フォトアルバムがあります。これは屋根の構造を実感できるとてもありがたいものです。桔木の状況なんてこういうときでないと見れませんもんね。

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奈良時代創建当時

奈良時代当時と同じぐらいの高さじゃないかって? あなたそれは段々近づいているからですよ。どんどん近づけば軒下だけで屋根は見えなくなります。

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ほら、また変わったでしょう。

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この金堂は正面間口は七間七間堂です。飛鳥時代なら官の大寺並ですが、都が奈良に遷ってから、京内に建てられた諸大寺の金堂は九間堂が通例です。例えば興 福寺中金堂、元興寺金堂、西大寺薬師金堂など。ここ唐招提寺は鑑真建立の私寺で、官寺ではないため七間堂となったようです。中央間は約4.7m、両端 へ次第に狭くなり、端は3.3mです。遠近感を演出しているんでしょうか。寺院建築には良くあります。

あの鴟尾は創建時のものだったと思います。あっ、違った。平成の大修理のときに新しく作ったんだ。以前は西の鴫尾は奈良時代、東に鎌倉時代のものが乗っていたはずなんですが、どこかに保管したのでしょうか。

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はい、軒下しか見えなくなりました。

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組物は三手先です。奈良時代以降、金堂は組物を三手先とするのが通例です。そしてその代表例とされるのがこの唐招提寺金堂です。
法隆寺は違いましたね。法隆寺金堂と唐招提寺金堂では100年ほどの年代の差がありますが、建築様式にも著しい差があって、それは単純に100年の間の技術の進歩とばかりは云えません。

法隆寺西院伽藍の建築は、中国の魏・晋・南北朝の各様式が朝鮮半島にもたらされて混然一体化し、その朝鮮半島の百済の工人により伝えられた建築技術の流れ。

一方、唐招提寺の建築様式は、随・唐から直接伝えられたものです。この様式は9世紀未から遣唐使が廃止されて、その後の大陸の新しい建築様式が伝わ らなくなります。そして中世に入り、鎌倉時代の東大寺再建や禅宗の到来とともに新技術が流入した時点では、この建築様式は和様と呼ばれるようになります。

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軸部の構成をみると、正面の側柱(かわばしら)は柱頭に頭貫(かしらぬき)が組まれて横に連結されるだけ。扉や窓のつく入側柱(いりかわばしら)間では、頭貫の下に内法長押(うちのりなげし)、足元に地長押(じなげし)が釘で打ちつけられ、窓の下には腰長押が打たれています。鎌倉時代に中国から大仏様として貫(ぬき)が伝わるまでの古代の建築は、柱を互いに連結する横材はこのように頭貫と長押だけです。

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上の画像の左端だけ扉が閉じていますが、中央三間にも扉があります。この扉はこの金堂創建以来のものとか。数枚の板を並べて裏桟に釘留めしてあります。その釘隠しの唄(ばい)が見えますよね。

虹梁(こうりょう)は飛鳥時代の虹梁よりも平安時代の虹梁に近いですね。その上にはあまり蛙っぽくない蟇股(かえるまた)が。奈良時代っぽくはあるんですが。間斗束(けんとづか)もすっきりさっぱり、ゴテゴテ装飾はありません。

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この庇の天井は何と呼べば良いのでしょう。格天井と云うには格子が細かいし。格子天井というには粗いし。

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三手先(さんてさき)の三手目で出桁を支えていますが、その出桁は地垂木同様に丸材です。それを三斗の上に実肘木(さねひじき)を乗せて、それで受けています。

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足元の地長押(じなげし) が釘一本で打ち付けたれています。二本打たなくて大丈夫か、と不安になるんですが、それが大丈夫なのは長押(なげし)がただの板ではないからでしょう。柱の丸みに従って彫り込んであります。

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中国風の建物なので中も土間だったと思いますが、南側一間(ひとま)は吹き抜けの土間です。ある意味礼堂部分ということになりますが。

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僧堂の方から見た金堂です。

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北側はなんか講堂との間に床を張っている最中。なんか行事でもあるんですかね?

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update 2016.07.14