2020.07.31       母岩田翠・永眠  

孫が来て超ご機嫌だった母です。もう十年以上前ですが。

自宅で療養中でしたが7月31日夕刻に肺ガンの為、永眠いたしました。

前日の散歩では近所の小さな女の子に嬉しそうに手を振ったり、意識が無くなる1時間前にはおはぎを半分食べるぐらいだったのですが、その後床について眠ったまま苦しむことなく心肺停止、95歳の大往生でした。

母は一昨年の7月13日に転倒し大腿骨骨折で入院し手術。翌月の8日にリハビリ病院へ転院。

何年も会っていなかった孫が見舞いに来たのでまたまた超ご機嫌な母です。

11月6日に退院して、ヘルパーさんの応援も得て、お風呂にも入れたのですが・・・・。

昨年の8月24日にトイレへ行こうとして再度転倒し、骨盤にヒビ状骨折し2週間入院。
退院後ははほぼ車椅子生活です。

このスロープを作ったので毎日車椅子で散歩に行けるようになりました。

その後、入浴も訪問入浴サービスになりましたが、車椅子のままバスに乗せて駅ビルでデザート付きの食事とかインド人のカレー屋さんとか。

食後には喫茶店でコーヒーとか花屋で花を選んだりとかご機嫌でした。
今年の春、丁度新型コロナの第一波の頃にはバスで食事に行くのは止めましたが、雨が降らなければほぼ毎日、車椅子で花見散歩に行っていました。

その間、3月14日にレントゲンとCTで肺に大きな腫瘍があると判明。通院が困難な為に訪問診療に切り替えました。そこの呼吸器系のお医者さんから肺ガンで余命1年以内と云われましたが、高齢でもあるので抗癌剤などは用いず、痛みが出たら和らげる方向で、それまで通りの生活を続けました。

公園ではちっちゃいお子ちゃま達が遊ぶのを目を細めて見ていました。

しかし2回目の入院で認知症も進んで、「あんたは今何の仕事をしてるの?」「仕事はしてないよ」「じゃ〜うちは貧乏人なの?」「貧乏人だよ」「やだよ、あんた働いてよ!」なんて。
しかしボケたせいで判ったことも。ある晩また「あんたは今何をしてるの?」と、前回は貧乏人って暗い話になってしまったので「研究だよ(あくまで自己申告)」と言うと「何の研究をしてるの?」「建築史だよ」と何気なく云ったら「ふ〜ん、じゃぁお祖父ちゃんと同じだ〜」。エー!で御座いますよ。

6月22日に部屋の中で三度目の転倒。今度は右上腕のほぼ開放骨折です。手術の後7月9日まで入院でしたが、新型コロナの最中なので入院中は面会出来ず、認知症の進行と平行して脚力も大幅に落ちました。

入院中に妹にこういうシャツを作ってもらいました。一からじゃなくて、既製品の加工ですが。何しろ右上腕骨折なので、着替えが大変だろうと。これがヘルパーさんや訪問入浴の方達に大好評!
「妹さんすごーい!」(内心:いやアイデアは俺なんだけど。)
でもこれで本当に着替えが楽になりました。

体力低下のおかげで「つたい歩きで転倒骨折」のリスクは無くなりました。
「末期ガンだからヘルパーさんと平行して使える」と云うお医者さんの薦めで訪問看護もお願いし、自宅での看取りとしてはほぼフルスペック。

亡くなる二週間前の散歩、最後の写真です。入歯を忘れて婆さん顔になってしまいましたが。

あの黒い袋にはおはぎに杏仁豆腐に温室もののイチゴとかです。おはぎも四つ割りにすると入歯なしでも食べていました。この日は公園の奥でお子ちゃまのサッカー教室? 母は目を細めて眺めていました。

三度目の退院後も2週間ぐらいは桃を丸々一個とか、ネギトロを載せたお粥とか、おはぎとかそれなりに食べていたし、車椅子での散歩も楽しんでいたのですが、亡くなる十日ほど前から食が細くなり、上記のような最後となりました。


このご時世ですので、通夜、葬儀等は極力簡略化し、8月3日(月曜)に深大寺の自宅で孫・曾孫も呼ばずに息子・娘夫婦のみにて執り行い、ご近所の方だけ庭から普段着でご焼香頂きました。

お隣さんはもちろん、一度玄関の前で倒れていたのを保護して連絡を下さった民生委員さんに、昔一緒に書道教室に通っていたご近所さん。前日の散歩で手を振ってくれたお嬢ちゃんのお宅のお母さんにお姉ちゃんまで、出て行く霊柩車を ご自宅の前で見送って下さり、本当にありがとう御座いました。 此処に生前のご厚誼を深謝し、謹んでご報告申し上げます。

また、足かけ三年お世話になったヘルパーさん達、ケアマネさん、訪問入浴に訪問診療、訪問看護の皆さんにも本当にお世話になりました。有り難う御座いました。