古道三浦道  宝戒寺の歴史(北条得宗家の屋敷跡)

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金竜山釈満院円頓宝戒寺

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1333年に新田義貞に攻められて滅亡するまで北条宗家(得宗家)の屋敷が有ったところです。北条一族の怨霊をしずめるために後醍醐天皇の命令で足利尊氏が開きました。後醍醐天皇自らが開基との説もありますが開基は足利尊氏とするのが正しいでしょう。

建武2年(1335年)に天台宗五代座主の慈威和尚が開山を勤めています。正式寺名は金竜山釈満院円頓宝戒寺。今も天台宗のお寺です。
本堂右脇の、最後の第14代執権北条高時を祀る徳宗大権現堂に、高時の木造が安置されているそうです。尚、高時の墓所は円覚寺にあります。
鎌倉二十四地蔵第1番。鎌倉三十三観音第2番。

「天台宗金龍山釈満院円頓宝戒寺略縁起」

当山は天台宗の寺院で金龍山釈満院円頓宝戒寺と号す。
開基は後醍醐天皇(1288〜1339)開山は天台座主五代国師円観恵鎮慈威和上(五人の帝の戒師となられたので五代国師を朝廷より賜る1281〜1356)で建武(2年)年間創建された。
当寺は北條義時が小町邸を造って以来北條執権の屋敷となり、元弘3年(1333)5月22日北條九代滅亡後その霊を慰めるため、又、国宝的人材を養成修行せしめる道場として後醍醐天皇が足利尊氏に命じこの屋敷跡に建立させた寺である。
開山の慈威和上は当山を円頓大戒(金剛宝戒ともいい、梵綱菩薩戒経所説の十重四十八軽戒を戒相とする大乗戒)と天台密教(台密)の大法関東弘通の道場として戒壇院を置き、加賀白山の薬師寺、伊豫の等妙寺、筑紫の鎮弘寺と共に遠国四箇の戒場といわれた。
亦二世普川国師惟賢和上は国家鎮護のため和合仏たる歓喜天尊像(聖天様)を造立し特殊なる修法を定めてひたすら鎮護国家を祈念したのである。天文7年(1538)七堂伽藍ことごとく焼失した。江戸時代に入って天海大僧正は宝戒寺は関東における天台律宗の本寺である故寺の維持相続の保護を徳川家康に懇願している。
僧正の言を待つまでもなく当寺は円頓戒壇として並びに四宗兼学の道場として現在に至る。

宝戒寺にある北条執権邸旧蹟

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参道入り口に「唐仏地蔵尊」の碑、「北条執権邸旧蹟」の碑があります。

往時此ノ地ニ北條氏ノ小町亭在リ  義時以後累代ノ執權概ネ皆之ニ住セリ  彼ノ相模入道ガ朝暮ニ宴筵ヲ張リ時ニ田樂法師ニ對シ 列坐ノ宗族巨室ト倶ニ 直垂大口ヲ争ヒ解キテ 纏頭ノ山ヲ築ケリト言フモ此ノ亭ナリ  元弘三年新田義貞亂入ノ際灰燼ニ歸ス  今ノ寶戒寺ハ建武二年足利尊氏ガ高時一族ノ怨魂弔祭ノ為 北條氏ノ菩提寺東勝寺ヲ此ノ亭ノ故址ニ再興シ 以テ其ノ號ヲ改メシモノナリ
               大正七年三月建之     鎌倉町青年會

2代執権北条義時が小町邸を造って以来北条一族がこの地に屋敷を置いていました。もっとも、北条宗家、つまり得宗家がづっと住み続けた訳ではないのですが、そのあたりはまた後ほど。ただし鎌倉時代の中期以降は1333年に北条氏が滅ぶまで北条執権の屋敷であったところです。

北条氏の最後は「寺南東側の“腹切りやぐら”で870余名といわれる北条一族全員が自害した。」と言われますが、870余名は大げさでしょう。この裏の東勝寺域870余名が最後の戦いをして時間を稼ぎその間に高時以下が自害したと言うことでしょうか?最後の激戦の地です。
その北条一族の怨霊をしずめるために後醍醐天皇が建武2年(1335年)に足利尊氏に命じて、北条氏屋敷跡に建立させた寺がこの宝戒寺です。

実際には後醍醐天皇が北条氏の小町邸の跡に宝戒寺を建てさせたと言う記録が残っているので、北条氏の小町邸は宝戒寺のあったここだろうと推定されています。

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当時は七堂伽藍に2ヵ院36坊を有した大寺院でしたが戦国時代の兵火、江戸時代の大火、明治初期の廃仏毀釈、そして関東大震災によりことごとく消失し、昭和になってから再建を図り、現在もその途上とのことです。

宝戒寺の春、3月

この3枚の写真は2004年の3月14日のもの、枝垂れ梅、杏が綺麗でした。

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2006年の梅の様子はこちら宝戒寺の梅 2006.3.12 をご覧ください。

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私にとっての宝戒寺はこの上の枝垂れ梅と下の杏の白い花です。

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宝戒寺の本堂、1月

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本堂の本尊地蔵菩薩坐像(国重文)は胎内銘から1365(貞治4)年三条法印憲円の作とわかり、京風のとても穏やかなお顔です。地蔵像としては珍しい座像で、子育経読地蔵とも呼ばれているそうです。同じ堂内に安置されるもう一つの小さな地蔵菩薩像は、足利尊氏の念持仏と伝えられています。
宝戒寺は鎌倉33観音第2番札所なんだそうで、その札所本尊の准胝観音像は地蔵菩薩像の向かって左側にあります。

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