鎌倉の夏       鶴岡八幡宮から亀ヶ谷切通    2009.08.18

宝戒寺のあと、光明寺の蓮の気にはなったのですが、既にもう正午。流石にもう蓮の花には遅いだろうと、北鎌倉に向かうことに。こちらは小町通りのいつものぶたまん屋さん。

鶴岡八幡宮から亀ヶ谷切通_01.jpg

残念ながら席が一杯。諦めて亀ヶ谷辻の方へ。


鶴岡八幡宮の前を右に、そして小町通りへ曲がってすぐに右へ曲がったこの道は、平安時代末期からあったはずです。おや、旧川喜多邸の工事がだいぶ進んでいる。川喜多記念館の建設工事です。

鶴岡八幡宮から亀ヶ谷切通_02.jpg

私は「そんなもの建てないで欲しい」と思っていたのですが、案外落ち着いた記念館に仕上がりそうですね。


そうかどうか、景観の確認。う〜ん、これならあまり違和感は無いです。まぁ良いでしょう。

鶴岡八幡宮から亀ヶ谷切通_03.jpg

・・・って、偉そうに。 工事期間は9月24日までのようです。開館はもっと後でしょうけど。


あそこに見える和風ラーメンの旗。あそこが窟堂です。娘がまだ小学生だった頃に、その娘と母親のお気に入りだった店です。授業参観かなんかの帰りに見つけたんだと。

鶴岡八幡宮から亀ヶ谷切通_04.jpg

で、鎌倉時代以前からあったはず。というのは頼朝の鎌倉入りから8年後の事件が、「吾妻鏡」に出ているからです。曰く「窟堂の聖阿弥陀佛房勝長寿院に詣で礼仏。退出の後、路に於いて頓滅(年八十四歳)す」。84歳ってんだから頼朝の鎌倉入り当時は76歳。そのずっと前から窟堂に居たと見るのが順当。とまあ、こういう訳。更にこの道のちょっと先、横須賀線の踏切の向こうは頼朝のおっとちゃん、源義朝の館(タチ)であった後の寿福寺です。


そのちょっと先の、横須賀線の踏切の手前を線路沿いに右に折れて真っ直ぐに行くと、この八角堂が。昔は四角いお堂だったんですがね。頼朝の娘大姫の墓じゃないかってな巷の噂も。

鶴岡八幡宮から亀ヶ谷切通_05.jpg

鎌倉時代に、「武蔵大路の下」とか「亀谷辻」と言われたのはおそらくこのあたりでしょう。
そのまま真っ直ぐに行って・・・


このガードレールを潜って右へ行くと、途中を曲がると化粧坂。突き当たりが海蔵寺です。

鶴岡八幡宮から亀ヶ谷切通_06.jpg


海蔵寺は次のページでご紹介するとして、戻ってきたつもりでこのお堂を左に曲がると・・・

鶴岡八幡宮から亀ヶ谷切通_07.jpg


この先が亀ヶ谷坂切通になります。

鶴岡八幡宮から亀ヶ谷切通_08.jpg


鎌倉側からの上りは結構急。鎌倉時代の風景とはえらい違うはずですが、でも、一般道(四輪はX)ながら雰囲気のある切通です。

鶴岡八幡宮から亀ヶ谷切通_09.jpg


ここが道の頂上。2004年10月9日の台風22号のときにこの左側斜面が倒壊してしばらく通行禁止になっていました。

鶴岡八幡宮から亀ヶ谷切通_10.jpg


その頂上から鎌倉側を振り返ったところ。

鶴岡八幡宮から亀ヶ谷切通_11.jpg


北鎌倉側から頂上を振り返ったところ。

鶴岡八幡宮から亀ヶ谷切通_12.jpg


坂を下りきって、巨福呂坂に突き当たるその角は長寿寺。建長寺の末寺。と言っても歴史は古く・・・、というあたりはこちら宝亀山長寿禅寺の歴史をご覧ください。

鶴岡八幡宮から亀ヶ谷切通_13.jpg

季節によっては週に3日ぐらい公開していたりするんですが、夏場はやっていません。


巨福呂坂を緩やかに下っていくと、なにやら田舎の駄菓子屋さんのような風情の漂うお土産物屋さん。

鶴岡八幡宮から亀ヶ谷切通_14.jpg


更に下ると、グルメガイドブックなんかにも良く登場するビーフシチューの未来庵。造りは普通の民家です。

鶴岡八幡宮から亀ヶ谷切通_15.jpg


更に下って行くと、茅葺きの民家が。維持が大変でしょうに、有り難いことです。

鶴岡八幡宮から亀ヶ谷切通_16.jpg

実は桜の季節になると、ここのお庭の枝垂れ桜の見事なこと。それがこの茅葺き屋根ととまっちして、とっても絵になるんで御座います。

もうちょっと行くと北鎌倉の踏切。そして浄智寺東慶寺です。と、その前に、道草をした海蔵寺の様子を。いつもこの亀ヶ谷切通は海蔵寺とセットなんですよね。


他の季節は海蔵寺indexからどうぞ