2012.09.24      阿佐ヶ谷南口商店街  

阿佐ヶ谷駅の南口です。あの商店街はパールセンター街って言うんだって写真を撮りにきて始めて知りました。というか忘れていました。

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テーマソングは五輪真弓の「少女」です。 40年前もこうだったかなぁ、と思ったのですが、『杉並風土記』中巻 p.320 によると、「昭和37年にアーケードを作り、43年にカラー舗道に改める」とありますがら、あのときのこうだったんですね。

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井伏鱒二の『荻窪風土記』pp.102-105 にこのパールセンター街の謂われが載っています。

現在の中央線(当初は甲武鉄道)が開通して、荻窪駅が出来てから33年後の大正11年に、阿佐ヶ谷駅が出来ましたが、この誘致のときに阿佐ヶ谷の人達は現在の杉並区役所の筋向かいに住んでいた代議士古谷久綱に頼みこみます。
古谷代議士の尽力でやっと阿佐ヶ谷駅誘致が決まったあと、地主達が礼金を持っていったが古谷代議士は受け取らない。そこで地主達はせめて古谷代議士のお抱え人力車が楽に駅に行けるようにと、駅から代議士宅の玄関までの道を整備して三間道路にしたのがこの現在のパールセンター街なんだそうです。確かに三間ぐらいの道幅だ。この話、なんか美談に聞こえちゃいますね。
それ以前のこの道はこの先の三叉路までが2間巾、でも両側は草茫々で正味三尺(半間)から一間(1.8m)。三叉路から先の道巾はさらに狭く1間だったものを、両側の地主が各1間、または各半間づつ出し合って三間道路にしたとか。この話は『杉並風土記』中巻 pp.317-320 にもあります。

おっ、浴衣のお姉様。良いですねぇ。特にあの古びたお茶屋さんのと重なると、なんかその辺から井伏鱒二とか青柳瑞穂が出てきそうな感じが。

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おや。この蒲鉾店もよさげ。

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あれ? ねじめが。こんなとこにあったっけ? 

一昔、いや二昔前には民芸関係、特に竹とかアケビの籠やらでそれなりの実力を持っていたように聞きましたが。あれはねじめじゃなかったっけ? 覗いてみたら、普通に民芸品屋さんでした。
私は民芸店と民芸品店を区別しています。

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通りがかったときは他のお店を探している最中だったので、良く見ていませんでしたが、 この稲毛屋さんて、鰻屋さんだったみたいです。評判いいみたい。

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こんなところにお地蔵さまとお庚申さまが。お地蔵さまは子育て地蔵とも呼ばれ、ここは昔、北は鷺の宮、中村橋を超えて、練馬区貫井町の子の権現(円光院)、南はこちらも子育観音のある堀之内妙法寺へお詣りする道筋だそうです。大宮八幡宮大鳥居前で鎌倉街道につながる鎌倉古道だったという説も。

鎌倉古道かどうかは知りませんが、このお地蔵さまとお庚申さま。元禄4年(1691年)に作られたものだとか。何で判るんだって、こういうものは祈願の内容と年を彫るものなんです。風化して読めないものも多いのですが。元禄4年は古い方ですね。

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この和菓子屋さんもよさげ。 粟餅にきび餅、おはぎだって。もういちど行ってみようかしら。

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しかしないなぁ。

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有った! こんなに奥だったのか。実はこの陶器屋さんを探しに来たんです。
陶器屋さんと言っても石飛勝久とか金城次郎とかではなくて、日用品の食器屋さんです。
お前が何でそんな店を探していたんだって? 実はこの阿佐ヶ谷の北の三畳一間のアパートで彼女と同棲を始めるときに、最低限のお茶碗とかお皿を買いに来たことがあるんです。
昔のことですが。

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そのとき、この商店街に流れていたのが五輪真弓の「少女」です。そのとき始めて聞きました。
それが五輪真弓と知ったのはその後のこと。1972年10月21日発売ですか。

今でも五輪真弓の「少女」を聞くと、この商店街のこの店で、100円ショップ並みの一番安いお茶碗を探している光景と、当時の不安な気持ちが蘇ります。不安と言っても、彼女と暮らすことがではなくて、別の将来の不安。ある意味私の暗黒の時代の幕開けです。その少し後に大学を中退しました。ちょうど40年前になるんですね。年末が近かったような。

ところでこのお店、何時まで開けてるんだろう。でも駐輪禁止なんて、まさか廃業? 隣のお店で聞いてみました。そうしたら、何年も前に店を閉めたそうです。残念。