2012.09.29  荻窪の川南から西田小学校  

川南のバス通り(現環八)から西田小学校までを見ていきましょう。

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この川南の信号で、旧バス通りと環八が分かれます。バスが出てきたあの道が旧道です。
当時この右側の現環八はここだけ予定地のように買収済みでした。そしてその並びに私が学校帰りに寄った駄菓子屋が。は〜なつかしぃ。もちろん今はありませんが。で、このあたりに銭湯もあったはず。

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上の妹もその駄菓子屋を覚えていました。
その妹の言うには、私は妹二人を連れてそこに行ったことがあるらしいんです。で、そこで二番目の妹にも駄菓子を買ってあげて、「怒られるからおかあちゃんには内緒だよ」と言ったのに、後日妹二人と母がそこを通りがかったときに、二番目の妹が「ここでお兄ちゃんがお菓子を買ってくれたんだよ〜。美味しかったんだよ〜。でも怒られるからおかあちゃんには内緒なんだって。」としゃべっちゃったらしいのです。上の妹がそれを聞いて「あっちゃ〜!」と思ったら、案の定、帰ってから私がこっぴどく母に叱られたとか。

二番目の妹にその話をして「買ってあげたのにひで〜やつだ!」と抗議したのですが、そんなこと覚えていないようでケタケタ笑ってました。むかついたので娘にもその話をしたら、やっぱり大笑いして、「おばさん可愛い♪」だって。被害者の俺はどうなるんだ。ムカツク〜! その妹はいくつぐらいだったんだって? 幼稚園ぐらいじゃないですかね。

ところでその二番目の妹は、昔懐かしいこの地を訪れてみようと、荻窪駅から歩き始めたことがあるらしいのです。で「バスターミナルがあったはず」と探しながら歩いていたら、高井戸駅まで行ってしまったと。バスターミナルって何のことだ? と思って考えてみたら、関東バスの車庫のことでしょう。ちょうどこの右側あたりにありました。あるいは環八に削られて、ちょうどこの目の前の路面あたりだったのかもしれません。

川南の信号の処で環八を渡って真っ直ぐ行くと、最初の十字路の左にお堂があります。
宝暦6年(1756年)の銘のある不動尊石碑が祀られているとか。当時流行した熱病を鎮めるために造られたらしいです。昔はもっと小さなお堂で、お賽銭箱がありました。今回お詣りをしてお賽銭を、と思ったらお賽銭箱が無い。

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しょうがないのでお賽銭はこちらのお寺に。中道寺です。
この中道寺が寺容を整えたのは寛永13年(1636年)頃とか。鎌倉感覚を捨てればけっこう古いですね。日蓮宗で正式には大光山千葉院 中道寺とか。院の後に寺? なんか変なの!

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小学生のころ、ここも夜になると火の玉とか出るんだろうか、なんて思って見ていました。 上の妹はこの墓地の記憶は無いようです。

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結構立派な本堂ですね。 本尊は「願成の祖師」と呼ばれる黒目の日蓮上人像で、別名「黒目の祖師」とも呼ばれているんだそうです。区登録文化財だとか。

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山門は欅作りの二階建ての鐘楼門で、二階に梵鐘が吊ってあります。天明元年(1781年)の建築とか。

鐘楼門は鎌倉の浄智寺でお馴染みなんですが、本当はかなり珍しいんですね。ここは浄智寺よりも大きいですが。でも浄智寺には別に総門があるもんね。って対抗してどうする。(苦笑)

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小学校の帰りに、この門のところで映画を撮影していたことがありました。山本富士子、かどうかは知りませんが、そんな感じの和服の女優さんで。キャメラの撮影の後で、マイクだけでセリフを録音していたような。

ようなというのは、そう見えただけで、本当にそれがセリフだったのかどうかは判らないのですが。でもスタッフは沢山は居なかったけど。

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さて、その正面を通って・・・

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すぐに斜め右に曲がる道が小学校への道です。

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そして十字路に出ます。ここ「松渓公園」は縄文式住居の遺跡で、地下にそのまま保存するための東京都内で最初の公園なんだそうです。昔はここは元畑の原っぱで、こんなに木はなかったんですが。

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この写真を見た妹の話では、元畑だったので干からびた肥だめがあったそうです。で、誰とは言いませんが、妹の一人が隆起している処から転がり落ちてその肥だめに落ちたとか。とっくの昔に干からびていたのでズボッとはいきませんでしたがものすごく嫌な気分になったとか。その話は昔し、といっても大人になってから聞いていましたが、まさかここの話だったとは。

あと、粘土と型を子供に売る行商が良くいたとか。私は自宅の近くの広っぱだと思っていた。そっちは荻窪小学校のそばだから、小学校の近くにはどこでも来たのかもしれません。
どういうものかと言うと、粘土と型と金粉、銀粉みたいなのを子供に売る。子供はその場で粘土を型に填めて例えば冑のレリーフみたいなものを作り、金粉、銀粉で綺麗に仕上げて、最後にみんなで評価を受ける。行商人(というか香具師?)はそれに点をつけて、点を書いたカードをくれる。提出した作品(粘土)は行商人に回収される。子供はその点数を溜めて、よりおっきなかっこいい型をもらう。
でも一生懸命溜めているうちに、行商人は来なくなってしまうって寸法です。子供としては、粘土のレリーフを金粉、銀粉で綺麗に仕上げて作ることが楽しくて、何点になるかもわくわくもので必死にやってました。私も。(笑)

その向こう側が西田小学校。 この門の右側が図工の教室でした。

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校庭の方に廻ってみると。
校舎は木造2階から鉄筋3階建てに変わっているけど、位置は同じですね。

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さっきの公園の十字路を真っ直ぐバス通り(旧道)に出ると、角に魚屋さんが。
記憶にはないけど、こりゃ絶対あのころからあったよな。あっあの子は同級生の大内さん! 
世間の声:「なわきゃね〜だろ。」(。_・☆\ ベキバキ

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そこから川南の方へ向かうと。あの3軒ももう50年以上前からあったっんじゃないでしょうか。
そう言えば、通りのこっち側に服部時計店の看板があったような。今は無いですね。って、服部時計店+精工舎で服部セイコーになって、それがセイコーになってるんだから、服部時計店の看板が今有るわけは無いんですね。

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